策略を練るのも一つの方法である

最近、自分が少し壊れかかっているような気がする。

次へのステップの転換期かも知れない。

大阪都構想は、実現できなかったが、緩やかに、その意思を受け継ごうとする動きも出てきているようだ。
橋下さんは、ただただ無残に負けただけ、ということはなかったのだ。

それと同じようなことが、人生にも言える。

自分があえてキッカケを作って、コトを起こさない状態であっても、
偶然の出来事で、風向きが変わることがある。
風向きの変化を自分の思いの方向に方向展開していくチャンスの到来である。
実行するとなると、大きな障害が予想され、逆風も大きいが、
それなりの結束力を生む、意外な波及効果をもたらすこともある。

なりゆきのままに、身を任せるのも一つの方法であるが、
なんでもかんでも、おまかせ、というのではなく、
自分の意思、向って行きたい方向があるのなら、そっちのほうに向くよう、策略を練るのも一つの方法である。

構想は、漠然とあっても、具体的実践方法は、短時間には練れない。
じっくり時間をかけて、自分の人生をデザインしたい。
だが、時機を逃がすと、意味がない。

なすがままの、受身一本槍より、能動的に生きるのも、生きがいがあるように思う。
軌道に乗れば、あとは、すーっとそれに沿ってゆっくり歩いて、時が来れば自然に消えていきたい。